映画『スオミの話をしよう』

こんにちは。広です。

毎日良いお天気が続いていますね。

明日からしばらく雨模様との予報ですが、秋のこの時期は楽しみがいっぱいですね。

さて、先月は2本の映画を観に行ってきました。

わが家の三の君が映画館が大好きなので、映画によく同伴します。

だいたいのディズニー映画とアニメは観に行っているという。。。

最近は年齢とともに、守備範囲も増えて、邦画サスペンス、邦画ミステリーも観たいのだそう。

私が映画を観るとなると、ドキュメンタリーかシュールなアジア映画となってしまうので、世界が広がっていいなと思うものです。

映画の楽しみ方ひとつでも、三の君はポップコーンをバリバリ食べながら観たい人。

私はコーヒー以外口にせず、全集中したい。。。

なんなら、そのお題、観る前から興味ゼロ恐竜くん・・・

けど、なんでしょう、こうやって楽しむのも楽しそうよねにっこりと自分の感じ方に広がりができるのもいいものですよね。

・・・と前置きをしながら、『スオミの話をしよう』について短く書いてみようと思います。

コメディー映画です。

三谷幸喜監督らしさを裏切らないです。

何の解決も終焉もないモヤモヤENDです。

結局・・・これではスオミは何も学んでいなければ、何も救われていないような、

これからも環境を変え相手を変えるだけで、同じ事を繰り返すだけのように思えるのですが。

ええ!?これでハッピーエンドみたいに締めくくるの???(コメディーですから)。

長澤まさみさんはとてもとても綺麗で可愛かったですにっこり

さて、ここから個人的な感想です。(上記みんなのレビューと同感)

これって、観ていて思ったのですが、

人間とは、呪(しゅ)に縛られるというお話しなのでしょうね。

人間は、他の生き物との違いの1つに思考・言語の能力があります。

それは逆に言えば、人間だけが思考・言語に縛られるとも言えます。

現実は、いいとか悪いとか、何の判断もなくただそう事実が在るというだけなのですが、

人間だけはそれをいいとか悪いとか判断を持って、判断したものを真実と捉えている。

その始まりは、名を与えられた瞬間からその名に縛られるのだと思います。

自分が何者なのか。死ぬまでずっと定義し続けている。

スオミはまさにそれのように思えます。

どこで生まれて、どんな生い立ちであったか、それはただ事実があるのみなのですが、

スオミが考える通りの縛りで人生を生きている。

感情はこんなに自然で、色々な感情や色々な一面を持っていて、それで普通、それでいいのに、

統一した1つの人格を守りきれなくなる度に出て行ってしまう。

こうでなきゃだめ!を守りきれなくなるとまた1から作り直す。

人生の目的とか、幸せの在処を思考し決めて、そこへ自分を合わせて行く。

感情は切り離して。

それこそ呪なのではないでしょうか。

そして、その呪を超えていくのがタロットの世界観なのだなと思いました。

そんな事を投げかけられたような映画の感想でした。(映画はホントにコメディーです)

みなさまよき1日をお過ごしください!

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