こんにちは。広です。
今日は母の日。


二の君と三の君でケーキを作ってくれました
子たちよ、今年もありがとう
さて、そんな子どもとの日々が今の私をかたち作り、
過去の自分をありありと見つめ直すきっかけを作ってくれたのだと思っています。
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さて今日のお題です。
占星術に興味を持ったきっかけは、一の君の誕生に遡ります。
かなりの難産で産まれた一の君は、生後7ヶ月を過ぎるまで、ほぼ私と目を合わせてくれることがありませんでした。
出産時に私が何度か意識がなくなり、酸素が危なくなってしまったせいか、
青紫色になって産まれた一の君は、しばらく泣き声を上げなかったことを覚えています。
いつも私の左肩上辺りを見ていました。
私以外の人とは目を合わせていたりするらしかったのですが、私とは合わせませんでした。
けれど、意識をしているような、何か不自然に目線を外している違和感を感じていました。(私には試されているように感じられました)
昼夜問わず泣き続け、とにかく寝ない赤ちゃんで。
少しでも寝れるかと思うと、見張っていたかのように大声で何時間でも泣き続ける、物凄い体力と何か得体の知れないセンサーのようなものを持った赤ちゃんでした。
勿論私は不眠と激痩せと物凄い泣き声での半ノイローゼで。
そんな7ヶ月を過ごした後は、
不眠とけたたましい泣き声はそのままに、今度は私以外の人は全く受け付けなくなりました。
また、吃音があり、私の通訳が必要だった事もあり、
一心同体のようにいつもピッタリ私のそばから離れなくなっていました。
様々な面で、極端で変わった行動をする一の君をどう育てたらよいのか、本当に不安で不安で、すすめられるがまま、あらゆる支援教室や病院へと足を運びました。
ある時は、出生時外傷のため脳が何かなっているのではないかと言われ、
○○障害ではないかと言われ、
○○異常ではないかと言われ、
IQテスト、脳のMRIも受けました。
そんなある時、SNSや書籍を読んで探した東京の有名なクリニックへ受診しに行ったところ、
その医師に「この薬を飲み続けていれば、意識がはっきりしてちゃんとするよ」とお薬を処方されました。
その時、ハッとしました。
多分、違う。問題はそこじゃないのではないか。
直感で、なぜだか今更ながらそんな気がしました。
そこからは、一の君に合気道をすすめて呼吸法を実践し、
ハーブやアロマの勉強、そこから占星術への勉強へと進んで行きました。
そして占星術がわかるようになった頃には、
あんなに恐ろしく枝葉を伸ばして私を包囲していた不安の大樹が
きれいさっぱり根こそぎ姿を消して、
そこには可能性だけを詰め込んだ種があるのみだと確信している自分に気がつきました。
そこまで来る頃には、一の君は11歳になろうとしていました。
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さて、その一の君はもう高校3年生。
吃音どころかよう喋りますがな。
コミュニケーションをあんなに案じていた一の君は、
日本語だけでは飽き足らず、英語のコミュニケーションの細かなニュアンスの違いを知るのが好きなようで、日本人の居ない地域へ留学もしていました。
英語でもよう喋りますがな。
相変わらず個性的な感性はそのまま彼の持ち味となって
沢山のすばらしい先生や友人との出会いに恵まれ、今をしっかり生きています。
「自己肯定感、人の3倍あるからね」
というのが本人の弁。
私は自分の辿った11年の年月を、自分と一の君が共に彷徨った夢のように思っています。
物質として時間としてそれは現実に存在していたのですが、
そもそも私が現実化してしまったもの、
感情と思考で結晶化していったものだと思っています。
この現実もこの瞬間も、本当は夢なのかも知れない。
そしてこれが夢であれ現実であれ、
私のあらゆる過去や過去生を思い出させてくれるために伴走してくれた魂が一の君であり(一の君とはドラゴンヘッドとテイルにそれぞれ太陽、金星、土星の合のシナストリーです)、
今こうして私たちの家族や友人や師であるのだなと思います。
きっとそれは永遠に知ることのできない混沌。
けれどその混沌の中でも一つの光の線で導いてくれた占星術は、占いという範疇を超え、
私が確信を得ることができた価値ある学問だと思っています。
必ず万人の心に刺さる・・・かどうかはその方の考え方、ものの見方次第で
そこには正も不正もありませんが、
少なくとも何かの一端を捕まえる事ができるのではないでしょうか。
母の日に、子たちへ感謝を込めて。
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本日もよき1日をお過ごしください!