『光る君へ』に思うこと

こんにちは広です。

気が付けば世の中は6月。

あれこれと忙しくしているうちに、あっという間に時は経ってしまいました。。

皆様はどうお過ごしですか。

さて久しぶりに何か・・・とふと思い浮かんだのが、
毎回とても楽しみにしている大河ドラマ『光る君へ』です。
今回は没落して行く藤原道隆(藤原道長の長兄)とタロットのお話を書いて行きたいと思います。

前回、前々回とで、糖尿病を患い没してしまった藤原道隆の亡き後が、悲しくも鮮烈に描かれていました。

私はこの藤原道隆一家を見ていて、ずっとソードを思い浮かべていました。

道隆自身が望んで、出自がそこまで華々しくはなかった高階貴子(漢才が長け教養の高さを評価され後宮の内侍司に勤めていた女官)を嫡妻にしたのは、自らは出自も容姿も淡麗であるが、学についてもう一押し欲しかった為、家・子孫の繁栄を願い学才の長けた女性を子の母親にしたかったのではないかと書かれているものを読んだ事があります。

実際はどうであったかを知る術はないのですが、大河ドラマの中での道隆はそのように描かれているように感じました。

また、高階貴子、伊周、定子についてもまずはソードの家庭で育ってきた者らしく、当時の大鏡にも記述があるように、道隆の子らはいずれもずば抜けて学才に長けていると称されいました。

さて、伊周と定子。
私はこの兄妹の違いがとても興味深く描かれていて、その違いがより一層定子の境遇を辛くし、そして見ている者の心を持っていってしまうように思われます。

伊周は学才の上に、知的・一匹狼・人徳なし・モラハラ気味・自分勝手・視野の狭さが描かれています。

対する定子は学才の上に、共感・仲間・意見交換・支援・視野の広さが描かれています。

ソードとは、風(空気)のスートであり、風(空気)は惑星では木星、熱・湿を帯びています。

ソードは知識や情報(エレメントは風であり、水星と土星がその素地にあります)を扱いますが、

同時にそれを打ち出す・沢山人との交流という解釈ができます。

定子はソードの活用方法を、宮中のサロンという形でとても素晴らしく展開して行き、同時に持ち前のカップの共感力(入内したばかりの頃、「お上の好きなものは何ですか?私はお上の好きなものを好きになります」と話していましたね)とがとてもうまく回っていたように見えます。

対する伊周は、上か下かの勝ち負けに拘る一面を競弓で見せたように、常に学才を鼻にかけたような立ち振る舞いで、史実にひどく人徳がない様子が栄花物語にも記されています。また、うまく回らなくなってくると、パワハラ(マタハラ!?)となって、定子に噛み付くような場面が、知識・情報や権利を扱いつつも、窮地に追い込まれると、嘘をつく、逃げる、などの子供じみた暴挙に出るソードの逆位置の姿がドラマにも描かれています。

どちらも同じ家庭でソードを学んで成長して来た者同士であるのに、この対比がとても興味深く感じました。

それは、ソードがいけないものではなく、
ソードは=自分自身ではなく、それをどう使うのか?扱い方が未来を分ける気がします。

その使い方を誤れば諸刃の剣である事をとてもわかりやすく伝えているように感じられました。

結局のところは、定子の幸せな生活は、伊周と弟によって思わぬ方向へと引きずられてしまい、これからの定子の姿を見ていくのがとても辛くもあり見所でもあります。

また、伊周の最期は、子供達に、人に追従するなら寧ろ出家しなさい、と言い残したとの事。

最後までソードの使い方を見出せなかった人生を送ったと見えるお話のようです。(対する定子の辞世の句は、ずばりカップな内容です。亡きあとも深く深く一条天皇の心を掴んで離さなかった事でしょう。)

いつの世も繰り返される、ソードのお話。
それはこの一族の没落だけではなく、とても身近なお話でもあるものだなと思いました。

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いかがでしたか。

日常の中にあるタロットと占星術。

自分のものがたりの中にあるタロットと占星術を読み解いてみませんか。

道しるべでお待ちしております。

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