光る君へ 月を考える回

こんにちは。広です。

昨日の26話では月について考えさせられた回でした。

まずは冒頭から日食と大地震という出来事から始まり

まひろと宣孝との感覚の違い

彰子の裳着の儀式から入内の準備へ

と物語は進んでいきます。

まず、日食と一条天皇のオーバーラップ。

日食とは、月が太陽の前を横切るため、月によって太陽が隠される(冒頭の映像では部分日食でした)、それは

天皇の前に中宮定子が居り、世の中への光を遮るとも読めることとなります。

そしてその日食等の異常な天文現象と占星術による解釈がしたためられた天文密奏が阿倍晴明から一条天皇へと奏されました。

そして、まひろと宣孝との感覚のすれ違い。

金星としては、素敵なものやおいしいもの、崩れたお屋敷を建て直す財を持ってきてもらって嬉しいのですが、

何だかしっくりこない感覚、2人の月がねじれの角度なのではないかと思われるシーンが続きました。

それから、彰子。まだ月の年齢域に居るような(実際は水星期なのでしょうが個人差があります)、個の意思を持つ前の子供の彰子に焦点が当てられます。

物語の中では、両親の意向の反射を受け取り、即答で入内を受け入れます。

そして、琴を覚えない、ぼーっとしている、何もわかっていない、挨拶もろくにできない・・・

などと評される彰子。

けれど、彰子は今後成長して賢后と称されるまでに立派に宮中を取り仕切って行く人物となるのです。

引っ込み思案で口数も少なく・・・と道長が評する所は生来の月の様子なのでしょう。

その月に、皆が尽くせる限り尽くしてバックアップして育て行き、思慮深く慈悲深いと称されて行くこれからの彰子の物語を見ていくのがとても楽しみです。

その月の変容の軌跡に蠍座の月を感じてしまう私でした。

(見上愛さんの演技の風情と蠍の月が重なってしまったのもありますが)

月こそ人生の基盤、人生の変容の基盤ではないでしょうか。

生贄の姫として拘束された人生として生きていくか

その状況を全て受け入れ、吸い上げて己のものとしていくか

人生に何が起こるかではなく、どう受け止めるか、どう血肉としていくかがその人の人生の方向を定めるような気がします。

これからが楽しみです。

今日もよき1日をお過ごし下さい!

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